近江八幡観光情報

  • TOP
  • 近江八幡観光情報

滋賀県近江八幡市は琵琶湖の東南部、大津・彦根両市のほぼ中間に位置し、近江商人発祥の地として知られています。
水郷巡りや八幡堀周辺・新町通り・日牟礼八幡宮境内地などをはじめとし、
国指定の特別史跡である、織田信長が天下統一のための拠点として築いた城「安土城」の城跡や資料館などさまざまな見処があるほか、
バームクーヘンなどのお菓子で有名なたねや(クラブハリエ)本店など有名なお店も多数ございます。
そんな見所満載の近江八幡の駅前に立つホテルニューオウミを近江八幡観光の拠点として是非ご利用下さいませ。

観光マップ

大きな地図で確認

観光スポット

    • 水郷めぐり

      近江八幡の水郷は、琵琶湖八景の一つ「春色・安土八幡の水郷」に数えられるなど、その景観には心癒されるものがあります。四季それぞれに趣があり、水鳥たちも多く集い、自然の営みや恵みを感じることの出来る場所です。そんな水郷を、“日本一遅い乗り物”でのんびりゆったりお楽しみ下さい。

      mapを見る HPはこちら
    • ヴォーリズ記念館

      近江兄弟社の創立者であり、近江八幡市第一号名誉市民であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが満喜子夫人と共に過ごした住居をヴォーリズ記念館として運営。この建物は、昭和6年に建築された滋賀県指定有形文化財で、ヴォーリズの日常生活に関する数々の遺品や資料が保管・展示されています。その他市内には「旧八幡郵便局」「近江兄弟社学園幼稚園舎」「旧YMCA会館」などのヴォーリズ建築が数多く残っています。

      mapを見る HPはこちら
    • 日牟礼八幡宮

      誉田別尊・息長足姫尊・比売神の三神を祭神とする旧八幡町の総社。平安時代の創建といわれ、京都府八幡市の石清水八幡宮の神霊を勧請したものです。寺宝には、江戸時代に海外貿易に活躍した商人西村太郎右衛門が寄進したという「安南渡海船額」をはじめ、祭神である三神の木像などがあり、いずれも国指定の重要文化財になっています。

      mapを見る HPはこちら
    • 八幡山・八幡ロープウエイ

      1585年、豊臣秀次によって築城。八幡山最頂部に本丸をもうけ、二の丸、西の丸、出丸が配置された一大要塞であったと推測されます。現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。八幡山山頂へのロープウェイは、約4分で到着する短いものですが、レトロな風貌と、山頂から見下ろす四季折々の琵琶湖、西の湖、旧城下町などは最高です。

      mapを見る HPはこちら
    • 八幡堀

      豊臣秀次が八幡山のふもとに城下町を開いた時に、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄港させる為につくられた運河です。かつては商船が従来し、商人たちであふれていました。現在では町の代表的な観光名所として親しまれています。時代劇の撮影場所としても隠れた名所となっています。

      mapを見る HPはこちら
    • 白雲館

      明治10年に八幡東学校として建築された白雲館は、当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物です。近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。

      mapを見る HPはこちら
    • 新町通り

      国の重要伝統的建造物保存地域。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして、その保存運動が展開されています。西側に旧西川庄六宅、森五郎兵衛宅、3丁目の京街道筋には旧伴庄右衛門宅などがあり、邸宅には卯建があがり、家並みの塀越しに松がのぞくなど情緒ある風景が続いています。

      mapを見る HPはこちら
    • 伴家住宅

      今に残る旧伴家住宅は7代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、文政10年十数年をかけて建築したものですが、明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校と変遷しました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され後に近江八幡市立図書館となり、現材は市立資料館の一部として開館しております。

      mapを見る HPはこちら
    • 安土城跡

      JR安土駅の北東、標高199mの安土山一帯にある織田信長の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。

      mapを見る HPはこちら
    • 安土城考古博物館

      特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として平成4年に開館しました。第1常設展示室では「考古」をテーマに弥生時代、古墳時代の近江にタイムスリップします。第2常設展示室では、「中世・戦国時代」をテーマに、安土城をはじめとする城郭の変遷や織田信長の人物像にせまります。また、企画展示室では、春・秋2回の特別展と夏・冬2回の企画展を開催。その他、博物館講座、体験博物館、お茶会、写生大会、子ども考古学教室なども実施されています。

      mapを見る HPはこちら
    • 安土城郭資料館

      JR安土駅南広場にある城郭を思わせるような建物が城郭資料館。この資料館には、織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されています。安土城は、金箔瓦をいただき、外観5層内部階で、内部は狩野氷徳(かのうえいとく)の襖絵や異国文化の調度で飾られていた豪壮華麗な城です。安土城は、本格的な天守閣をもった初めての城といわれます。外人教師ルイス・フロイスが本国に送った書簡に書いたことで、ヨーロッパ中に紹介された。その天主閣が細部まで忠実に再現されており、安土城の姿を偲ぶにとができます。

      mapを見る HPはこちら
    • 観音正寺

      開基については人魚の伝説があり、聖徳太子が人魚の哀願によって寺を開いたと伝えられています。西国三十三所観音霊場の第32番札所として、盛時には33もの子院を擁し絶大な勢力を誇りました。残念なことに平成5年には旧本堂とともに秘仏本尊も焼失してしまいましたが、平成16年には新本堂の落慶法要が行われ、総白檀の千手千眼観世音菩薩坐像が開眼しました。

      mapを見る HPはこちら
    • 安土城天主信長の館

      焼失から400余年も経た1992年「スペイン・セビリア万博」の日本館のメイン館展示として安土城天主の最上部5階6階の部分が、原寸大にて忠実に内部の障壁画と共に復元されその姿を現しました。博覧会期間中には最も多い入場者数を記録し、人々の日本文化への関心の深さが示されました。万博終了後その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に「発掘された当時の瓦を焼きあげて再現した庇屋根」「天人の飛ぶ様を描いた天井」6階部分に「金箔10万枚」を使用した外壁、「金箔の鯱を乗せた大屋根」が取り付けられました。

      mapを見る HPはこちら
    • 観音寺城跡

      繖山に築かれた近江国守護佐々木六角氏の居城跡。佐々木氏城跡ともいい、国指定の史跡です。城跡は昭和44年から2年にわたって発掘されました。築城の年代は明らかではありませんが、戦国時代に六角高頼が、家臣である伊庭行隆・山内政綱らに命じて築城させたものと伝えられ、以後次第に整備されて、典型的な山城となったといわれています。山頂部には、樹間に本丸跡の石垣や石段、平井丸・落合丸・池田丸の3つの城郭跡が残っています。また、大夫殿の池と称する籠城に備えた命水や、山上の雨水が石垣を崩さないように考えられた石畳の樋などがあり、多くの箇所に工夫が疑らされているのがわかります。

      mapを見る HPはこちら
    • 沙沙貴神社

      「沙沙貴神社」は古代の「沙沙貴山君」が崇敬した「延喜式」式内社です。近江国の蒲生野にあり、古くから沙沙貴郷あるいは佐々木庄と称されたこの地は、宇多源氏佐々木発祥地であり近江守護である佐々木一族、沙沙貴郷33村を始めとする人々の信仰を集めました。平安・鎌倉様式を継承し江戸中期に再建された茅葺きの「楼門」や、東西廻廊と四国九亀藩主京極家によって弘化5年(1848年)に建築された「本殿」「権殿」「拝殿」など大型木造建築八棟はすべて重要文化財に指定されています。

      mapを見る HPはこちら
    • 旧伊庭家住宅

      大正2年、建築家ヴォーリズ氏の設計により建築された木造住宅。発注者は住友の総理事で別子銅山の公害問題を解決したことでも有名な『伊庭貞剛』、居住者は安土村村長や沙沙貴神社宮司など勤められ、画家でもあった貞剛の4男『伊庭慎吉』です。洋風の外観を持ちながら、巧みに和風を取り入れたヴォーリズ初期の作品として貴重な建造物です。

      mapを見る HPはこちら
    • 左義長祭り毎年3月14、15日に近い土・日

      湖国の春を告げるお祭りで、織田信長も盛大に行い、自ら華美な装いで躍り出たと言われています。ワラで編んだ三角錐の松明を胴体とし、赤紙やくす玉、扇などで飾った青竹をつけた左義長は、二日間にわたって町内を巡行し、日曜夜になると日牟礼八幡宮の境内で奉火されます。夜空を焦がす左義長の炎は春の風物詩です。

      HPはこちら
    • 八幡まつり毎年4月14日・15日

      千年以上の伝統を誇る日牟礼八幡宮の祭礼です。松明祭とも言われる4月14日の宵宮では、10mもの大松明をはじめ、大小30本あまりの松明が境内に立てられ、仕掛け花火とともに勇壮な火の柱をつくります。翌15日は、各町内の氏子たちが自慢の大太鼓をかついで境内に参集するため、太鼓祭りとも言われます。

      HPはこちら
    • 篠田の花火毎年5月4日

      篠田神社境内で行われる、全国的にも珍しい古式花火(和火)の祭典です。年毎にデザインの変わる仕掛花火は畳百畳の大きさで、夜空に蛍火のような絵模様が浮かび上がる様は、まさに光の芸術と呼ぶにふさわしいものです。

      HPはこちら
    • 八幡堀まつり〜町並みと灯り毎年9月

      町並みや八幡堀に竹灯り(約1,500本)とガラスコップ(約1,000本)を設置し、風情と情緒を醸し出します。また、資料館、かわらミュージアムでの夜間特別開館や町家見学、コンサート、スタンプラリーなども実施。八幡山山頂からは「近江八幡の夜景」(はちまんドルの夜景)が楽しめます。

      HPはこちら
    • 近江八幡節句人形めぐり毎年2月〜3月

      市立資料館(旧西川家住宅・旧伴家住宅)では、近江商人宅に伝わる節句人形を展示します。台所道具や箪笥などのミニチュア小道具の展示のほか、江戸期から昭和初期の商家で大切にされてきた数々の歴史ある人形は見応え充分です。

      HPはこちら
    • たねや本店

      「たねや」は近江湖東の季節のうつろいを大切にした和菓子の老舗。その中でも、“栗まんじゅう”や“斗升最中”は、創業以来変わらぬ商品で根強い人気を誇る。2Fにはたねやの和菓子の歴史を物語る木型の数々を展示する資料ギャラリー併設しています(見学無料)。

      mapを見る HPはこちら
    • 近江八幡日牟禮ヴィレッジ クラブハリエ

      洒落たレトロ調のレンガ造りの建物に入ると甘い香りが漂います。アントルメ、タルト、ショコラ・・・などの他に、ふわふわで焼きたてのバームクーヘンを季節の花々の香り漂うガーデンを眺めながら、カフェでもお楽しみいただけます。

      mapを見る HPはこちら

広域観光情報